チェーホフの銃

チェーホフの銃 Chekhov's Gun 

のちに撃たれることのない銃は登場させるべきではない、ストーリーに無用な要素は盛り込むべきではない、といった文学上の伏線(foreshadowing)に関するチェーホフの考え方。対峙する技法は燻製ニシンの虚偽(Red herring)だろうか。

 

 

数年前にTwitterで物語における性的マイノリティはチェーホフの銃なのではないかという一連の議論を見かけた。その傾向は認められるし、そして是正されるべきであると思う。とても古い映画、言い換えると今より極端に男性社会だった頃の映画は女性の登場人物は少なかった。そして与えられる役割は母親役か恋人役、もしくは娼婦役ぐらいだった。これらの登場人物は女性であることが大きな意味を成していたのだ。女性である必要がないなら、そもそも登場させるべきではない。この時代では、女性でさえも性的マイノリティだったといえよう。そして、それは間違っていた。